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雲仙普賢岳。

皆さんは何を思い出しますか?

溶岩ドームに火災流、それにヒゲの市長…

高校3年生だった私には強烈な体験でした(ヒゲの市長の愛称で陣頭指揮を執られた鐘ケ江管一さんは先月逝去されました。ご生前のご活躍を偲び、哀悼の意を表します)。

あれから30余年…

我が国初の無人施工(溶岩ドーム直下は危険すぎて、この方法を取らざるを得ませんでした)など数々の難工事を経て、必要な砂防工事は全て終え、現在は管理監視体制に移行しています。

しかし、不安の種は尽きません。

雲仙普賢岳の隣にある眉山が江戸時代の寛政年間に山体崩壊を起こし、島原半島と有明会を挟んだ熊本に甚大な被害を与えた過去があるからです(この災害は「島原大変肥後迷惑」と呼ばれ、山体崩壊した有明海に流れこんだ眉山の大量土砂が津波を引き起こし、対岸の肥後を襲い、更に跳ね返った津波が再び島原半島を襲い、約1万5千人の犠牲者が出てしまいました)。

この不幸が今もなお溶岩ドームを抱える雲仙普賢岳に起こらないか…

その過去を持ちつつ島原に生きる方々の不安はよく分かります。

そのためにもまずは監視体制を地道に続けていかなければいきません。

引き続き、国土交通省の直轄事業として過去に思いを馳せつつ取り組んでまいります。

(写真は火災流の直接被害はなかったものの、熱波で全焼した旧大野木場小学校。子ども達の避難後で全員無事だったことがせめてもの救いです)