
昨日、衆議院は解散しました。
初当選以来、約3年間。
皆様方には大変お世話になりました。
振り返れば、本来であれば雑巾掛けに徹すべき1期目にも関わらず、図らずも任期の2/3に相当する2年超を環境大臣政務官(後半1年間はそれに加え内閣府大臣政務官)として働く機会を頂きました。
特に政務官の通常任期は1期1年のところ、これもまた図らずも2期2年(どころか、異例中の異例である3期目に突入中…)務めることができたため、本来であれば環境省の所掌事務の半分のみを担当するところ(政務官は2人いるため)、前半は気候変動や生物多様性、後半は公害や資源循環、原子力防災など、全ての所掌分野に携わることができました。
尤も、それらが良き経験ばかりではありません。
水俣病の被害を受けた皆様方に対する取り返しのつかない不手際では担当政務官として、改めて環境省の原点に立ち返り、環境省の存在意義がどこにあるのかを深い反省に立ちながら問い直し、必要な手立てを講ずることとなりました。
1月に発生した能登半島地震も然りです。
公衆衛生環境の保持はもとより、災害廃棄物処理や公費解体処理の迅速化は岸田政権における復旧支援の最重要課題となりました。
他方、政治家としての自らの行動指針である「この地に尽くす!」においても、振り返れば、栄地域における国道8号4車線化の事業計画決定、秋葉区における原油流出処理、田上町におけるバンブーブー支援、各土地改良区における課題解決、燕市や弥彦村、西区における地震からの復旧支援などなど、多くの方々に支えられながら何とか積み重ねができたのではないかといささか自負しております。
いずれにしても、まずは一区切り。
これまで支えていただいた全ての皆様方に心から感謝申し上げます。
ありがとうございました!