この地に尽くす!〜国定勇人(くにさだいさと)の日記〜

自由民主党新潟県第4選挙区支部長(前三条市長)の国定勇人(くにさだいさと)です。 自分の思い、日々の活動、第4選挙区内の様々なこと、プライベートなことなどを徒然なるままに書き綴ってまいります。 気楽にお付き合い下さいませ。

2024年12月

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国土交通大臣政務官に就任して間もなくのこと。

旧知の幹部職員が政務官室を訪ねて来られ、「近いうちにジュネーブで国際会議があるのですが、国会開会中のため時間外で申し訳ないのですが、オンラインで基調講演をお願いします」とのオーダーが…

もちろん役目なので引き受けるのに異論がないのですが、ふと気になり、「もちろん構いません。ただ英語は苦手なので、日本語でのスピーチでも構わないんですよね?」と投げ掛けると、「いやいや。もちろん英語でお願いします。大丈夫ですよね?」と当たり前田のクラッカーの如くの反応だったので、それ以上抗いきれず、引き受けることに…

頑張りましたよ、私。

11ページに及ぶ8分間英語スピーチ。

三条市の2度にわたる水害を例にしながら事前防災投資の重要性を四苦八苦しながら説いたつもりであります(昨日の三條新聞さんにその内容を詳しめに書いていただきました。いつもいつもありがとうございます!)。

現地にいた職員からの情報によれば、多少の笑いも引き出しつつ、三条市の場面では、会場出席者の多くの方々がかなり真剣に耳を傾けてくれていたようで一安堵であります。

でも、願わくば、日本語がいいかな⁉︎

恥ずかしさを堪えて正直に告白すると、霞ヶ関を離れ、過去官僚となった理由の2%くらいは苦手な英語から離れたかったからなのですから…

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八十里越の話題をそろそろ終えたいと思います。

八十里越は自然豊かな山岳地帯を通ります。

従って、自然との調和が不可欠となります。

雪溶け後の工事再開に当たっては、イヌワシやクマタカの繁殖確認を行っていることは比較的に有名ですが、それ以外にも随所に環境への配慮が施されております。

例えば、こちらの法面。

法面構築の最大の敵の1つは水とそれに起因する土砂流出。

本来であれば、法面施工後は直ちに防水シートを敷き、法面を護りたいところですが、こちらの法面では自然保護の観点から敢えて八十里越工事で発生した伐採木材チップを撒き、自然発芽で法面を固める工法を採用しています。

こうした説明も環境大臣政務官を経験していなかったら聞き流していたかもしれないな…と思うと、環境省の2年間は私の体内にすっかり根付いたと変な感慨深さを抱きながら、この法面を見させていただきました。

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今回の八十里越の現地確認では、只見町の旧知の方々とも久々に再会する機会に恵まれました。

元来、三条市の中でも八十里越開通への期待感が高い下田郷の皆さんのそれを遥かに凌ぐ熱量を持っていらっしゃった只見町の皆さんでしたが、久々に再会を果たしてもその熱量はいささかも揺らぐことはありませんでした。

「で…実際のところ、いつ開通できるの?」

30分ほどの滞在時間で、何度、この素朴な質問をいただいたことか…

お話を伺ってみると、開通後に変わる生活イメージはやはり県央基幹病院が身近になることにあるようです。

現在は会津若松へ救急搬送される状況から移動時間がおよそ3分の2になるのですから、まさに命を繋ぐ道ともなるわけです。

それと…

職場の選択肢が増えることはもちろんのこと、買い物の選択肢が増えることにも期待感が高いようで、まさに日常生活そのものが変わっていく期待感なのですから、「早く開通してくれ!」と切望するのは尤もなことであります。

ところで、お邪魔した八十里庵には偶然にもこれもまた旧知の間柄の下田郷の方々がいらっしゃったのですが、流石に河井継之助公同様に腰が抜けそうになりました。

開通が待てなくて既に至るところで至る形でサプライチェーンが構築されつつあるのですね。

恐るべし、道路効果!

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さて、八十里越の現地視察についてですが、先日の三條新聞さんの記事に寄せたコメントがやはり纏まっていると思うので、まずは再掲したいと思います。




今回の視察は、工事の工程上、供用予定の新道を奇跡的に一気通貫して走破できるタイミングがあるということで急遽設定いただきました。

実際に走行してみると、本当にあっという間に只見町から三条市に辿り着き、県境トンネルはもちろん、大部分のトンネルや橋梁が工事中だった頃から取り組んできた私にとっては実に感慨深い視察となりました。

只見町では旧知の方々とも交流させていただき、改めて、時空を超えて再び越後と会津が繋がることへの強い期待を国土交通大臣政務官としても重く受け止めたところです。

今後は、八十里越区間内の至る場所に残っている開通に向けた仕上げの工事について、手順を間違えるとなかなか完成に辿り着けなくなる複雑で難解なパズルを解くが如く、慎重に進めていく局面に入ってまいりますが、皆様の期待に応えるべく、一刻も早い供用開始に向け、万全を期して取り組んでまいります。



それにしても、一度も工事用道路を迂回することなく、供用予定の新道を通り抜けできたことは本当に感無量でした。

八十里越の開通を待ち望みつつ他界してしまった数多くの方々、今もなお待ち続けている方々の謂わば様々な思いを背負っての事実上第一号となる峠越えですから、尚のことであります…

それにしても、実にあっという間に越境できることを実感できました!

公式資料では、三条市から只見町までの移動時間が157分から79分へと圧縮されるとありますが、実際の工事区間の通過時間は本当にあっという間!

この「あっという間」を実現するために、国土交通省、新潟県、福島県、そして何よりも、工事に携わった作業員の方々が半世紀に渡って苦労に苦労を重ねてきたのかと思うと、本当に頭が上がりません。

もちろん、八十里越区間の開通は越後と会津を結ぶという視野の狭い効果に止まりません。

ものづくりのまち燕三条地域は北関東と強いサプライチェーンで繋がっているのですが、八十里越経由の新たなルートの誕生は生産性の向上にも著しく貢献することが期待されております。

まさに、私たち「人」にとって不可欠な生活、経済に直接好影響を与えるのが八十里越です。

単なる「コンクリート」ではありません。

1日も早い開通に向け、この地に尽くしてまいります。

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「八十里 こしぬけ武士の 越す峠」

司馬遼太郎の名著「峠」の主人公、長岡藩家老の河井継之助公が幕末の戊辰戦争の1つ、北越戦争で負傷し、体制を整えるため、越後から会津に八十里越峠を通って越境した際に詠んだ句と言われております。

八十里越峠はこのように幕末までは越後と会津を結ぶ(より俯瞰すれば、当時の物流の大動脈は海路であり、その主たる航路は日本海側にあったため、京・大阪と東北地方の一部を結ぶ)大動脈でありましたが、明治時代に入り、物流が鉄道、そして自動車にシフトしていくことに伴い、その重要性は相対的に低下し、明治も後期になると、その担い手は磐越西線、そして国道49号(今の磐越道ですね)に完全に奪われていきました。

その衰退傾向の転機となったのが今から遡ること約50年前の田中角栄先生の「越後と会津を再び道路で繋ぐぞ!」との強い意思でありました。

以来、半世紀。

三条市と只見町を結ぶ国道289号八十里越区間は時空を超えて再び繋げるべく、豪雪地帯のため、1年に半年しか工事ができず、かつ、その区間の約9割をトンネルや橋梁が占めるという難工事の連続の中、弛まぬ努力が続けてまいりました。

そして…

いよいよ、令和8年秋から9年夏までには開通するとの具体的な見通しが立ってまいりました。

さて、そんな八十里越工事の進捗状況を確認するために現地に分け入ったのですが、そのことについては明日以降改めて…

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