この地に尽くす!〜国定勇人(くにさだいさと)の日記〜

自由民主党新潟県第4選挙区支部長(前三条市長)の国定勇人(くにさだいさと)です。 自分の思い、日々の活動、第4選挙区内の様々なこと、プライベートなことなどを徒然なるままに書き綴ってまいります。 気楽にお付き合い下さいませ。

2022年10月

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昨年の衆院選で衆議院議員に初当選させていただいてから、本日で丸1年を迎えました。

まだまだ十分にご期待に応えきれていないことを自覚しつつも、何とか1年間走り続けることができましたのも、陰に陽に私をお支えいただいている皆様方のお蔭でございます。

1年の節目に当たり、改めて厚く感謝申し上げます。

本当にありがとうございます。

1年目の最終日となった昨日は在京当番でした。

衆議院議員となって1年にも満たない中、まさか環境大臣政務官を拝命するなど、1年前は全く以て想像だにできませんでしたが、こうした巡り合わせを頂戴できたのも皆様方のお蔭だと改めて思いを致し、力の限り取り組んでまいります。

1年目を迎えた今日は、ありがたくも地元活動の日となりました。

「この地に尽くす!」ためには、地元の空気を常に知ることが大事だと改めて心を定め、愚直に歩を進めてまいります!

皆様方からの引き続きのご支援、ご指導を心よりお願い申し上げます。

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国立公園内には思っている以上に人工構造物があります。

そして、それらのいずれもが正の財産であるとは限りません。

こうした状況の中、利活用の最大化を図ることで来場者に国立公園を満喫していただくためには、それらの人工構造物を除却或いはリノベする必要が生じます。

そのお手伝いをするのが国立公園利用拠点滞在環境等上質化事業なのですが、この事業には国立公園のイメージを一変させ、価値を最大限に引き出す力があると声を大にして言いたい!

私が目にしたのは、大山隠岐国立公園内にある旧国民宿舎。

旧国民宿舎閉鎖後、紆余曲折を経て、廃屋と化していた同施設を星野リゾートさんがリノベを施し、温泉旅館ブランド「界」に目下変身中だったのですが、その変貌の遂げ方がハンパない!

場末の雰囲気漂う空間が類い稀なるデザイン力でこんなにも変貌を遂げるだなんて!

このシンボリックな施設の再生が大山隠岐国立公園の一角を占める日御碕地区の価値を引き上げることは必至です。

強いて課題を挙げるとすれば、車やレンタカーを利用しない圧倒的多数を占める出雲神社参拝に訪れる公共交通利用客を日御碕地区まで誘導するか…

これこそ、地元出雲市さんと一緒になって地域公共交通をどうすればいいかを知恵を出し合えば、必ず答えに辿り着くはず!

益々、市町村との関係強化が不可欠ですね。

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国立公園に対するイメージといったらどんなものがあるでしょう?

豊かで手付かずの大自然というプラスイメージの一方で「あれもダメ」「これもダメ」というダメダメ尽くしの縛りが強い、規制一辺倒というマイナスイメージを持つ方々も少なからずいらっしゃるはず…

かく言う私も、そんな1人でありました。

ですが、国立公園は、国立公園を担当している環境省は今、「規制オンリー」から「利活用」へと大きく舵を切ろうとしております。

その象徴たる取組こそが「国立公園満喫プロジェクト」であります。

この「国立公園満喫プロジェクト」は読んで字の如くハード・ソフト両面にわたり国立公園の利活用の最大化を図ることで、訪れていただく皆様に国立公園を満喫していただこう!というものですが、鍵を握るのは「従来からの各種規制をいかに柔軟に運用することで利活用の最大化を図り切れるのか」にあると考えています。

元来、規制と利活用はいわばトレードオフの関係。

しかも、長年、自然環境保護・保全を専ら旨としてきた自然保護官(レンジャー)を始めとする国立公園管理事務所の皆さんに何の手助けもなく、いきなり「思い込みを振り払って柔軟な運用を!」と言い放つだけでは、スムーズに規制から利活用へと舵を切れるとは思えません(もちろん、諦めずに思い込みを振り払う努力は続けなければなりませんが…)。

では、どのような方々からの手助けが必要なのか…

私はやはり市町村長をまずは頼るのが近道なのではないかと感じております。

市町村長は日々、地域住民やその代表者である議員さんと最終責任者として向き合いながら、バランスの取れた着地点を追い求める、しかも貪欲に追い求める癖を身に付けております。

例えば、現行の国立公園内に(樹木が現にある程度伐採され)道路や施設が取り付けられている以上、利活用を試みる市町村長は「これ以上、樹木には指一本触れさせない」という判断はしませんし、逆に皆伐という愚行を犯すことも決してありません。

そのようなバランスを欠いたいずれの判断をすれば、地域住民との摩擦が生ずることは必至であることを既に国立公園外で嫌というほど経験しているからです。

もちろん、全ての市町村長が完璧というわけではありません。千差万別ですから…

そうした中、今回の視察で、大山町の竹口町長と知り合えたことは本当に収穫となりました。

あのバランス感覚と利活用最大化に向けた脳漿を絞り出す思考の積み重ねを厭わぬタフさ、そして類い稀なる行動力!

大山隠岐国立公園管理事務所の皆さんは実にラッキーです。

無邪気に竹口町長を頼りにしまくり、素晴らしい「国立公園満喫プロジェクト」を編み上げていきましょう!

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昨日の衆議院本会議において、野田元総理による安倍元総理に対する追悼演説が行われました。

言論の府に相応しい、実に素晴らしい追悼演説でした。

ここに敬意を表し、全文を記載したいと思います。



本院議員、安倍晋三元内閣総理大臣は、去る7月8日、参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。享年67歳。あまりにも突然の悲劇でした。 
政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった想い。そして、いつか引退後に昭恵夫人と共に過ごすはずだった穏やかな日々。すべては、一瞬にして奪われました。
政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えている時に、後ろから襲われる無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。 

私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。 我が国の憲政史には、101代64名の内閣総理大臣が名を連ねます。先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」を我が身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠を捧げたい。そうした一念のもとに、ここに、皆様のご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。


安倍晋三さん。あなたは、昭和29年9月、後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子様ご夫妻の二男として、東京都に生まれました。父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。


成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。そして、父 晋太郎氏の急逝後、平成5年、当時の山口1区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。38歳の青年政治家の誕生であります。私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。そこには、フラッシュの閃光を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。 

その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。 内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成18年9月、第90代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初。齢52、最年少でした。 
大きな期待を受けて船出した第一次安倍政権でしたが、翌年9月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、1年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と 思い詰めた日々が続いたことでしょう。

しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆様の温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土重来を期します。挫折から学ぶ力とどん底から這い上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。 
かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。あなたは、「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。


5年の雌伏を経て平成24年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時内閣総理大臣の職にあった私と、以降、国会で対峙することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成24年11月14日の党首討論でした。
私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それは、与党と野党第一党の党首同士が、互いの持てるものすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです。 
安倍さん。あなたは、いつの時も、手強い論敵でした。いや、私にとっては、仇のような政敵でした。
攻守を代えて、第96代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは、1対1の「果たし合い」の場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。

残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。


安倍さん。あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたび兜を脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。
それは、忘れもしない、平成24年12月26日のことです。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前総理として立ち会いました。
同じ党内での引継であれば談笑が絶えないであろう控室は、勝者と敗者の二人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れ様でした」と明るい声で話しかけてこられたのです。

「野田さんは安定感がありましたよ」 
「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」 
「自分は5年で返り咲きました。 あなたにも、いずれそういう日がやって来ますよ」 

温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。
残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。
第一次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさに鞭打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。わずか1年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控え室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。
あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。


安倍さん。あなたには、謝らなければならないことがあります。
それは、平成24年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。

「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でお腹が痛くなってはダメだ」

私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄することは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くお詫びを申し上げます。

私からバトンを引き継いだあなたは、7年8か月あまり、内閣総理大臣の職責を果たし続けました。あなたの仕事がどれだけの激務であったか。私には、よく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃も投げつけられます。 在任中、真の意味で心休まる時などなかったはずです。
第一次政権から数え、通算在職日数3188日。延べ196の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は1187回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。

首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる二人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。
あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。
あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。


安倍さん。あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、密かにお会いしたことがありましたね。平成29年1月20日、通常国会が召集され政府4演説が行われた夜でした。
前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、1時間あまり、 語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。
そして、「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。 

私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。 
あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見出せるのではないか。以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。


憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で喪いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。 

「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」 

安倍さん。 
あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。 
再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。

勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。 

耐え難き寂莫の念だけが胸を締め付けます。 
この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。 

その上で、申し上げたい。 
長く国家の舵取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。 
安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか。そうした「問い」だけが、いまだ宙ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。 
その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。 
問い続けなければならないのです。 

なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。 
暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。


最後に、議員各位に訴えます。 
政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。 
暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。
民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。 
真摯な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげていこうではありませんか。 

こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾に斃れた故人へ、 私たち国会議員が捧げられる、何よりの追悼の誠である。 
私はそう信じます。 

この国のために、「重圧」と「孤独」を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三 元内閣総理大臣。 
闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、この決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます。

安倍さん、どうか安らかにお眠りください。

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自分の記憶が薄れる前に、先月、環境大臣政務官としてお邪魔した鳥取県、島根県の視察のことを書き起こさねば…

今回の鳥取県、島根県の視察は、脱炭素先行地域に名乗りを挙げて下さった米子市さん、境港市さんへの表敬訪問と、大山隠岐国立公園を舞台とした国立公園利用拠点滞在環境等上質化事業と国立公園満喫プロジェクトの現況視察、の二本柱からなる内容となっていたのですが、いずれも実に意義深いものとなりました。

ここではまず前者から…

突然ですが、環境大臣政務官就任以来、省員の皆様方から徹底的に刷り込まれるキーワードがあります。

そのキーワードとは「地域と暮らしの環境省」。

気候変動や生物多様性といった環境行政を進めるに当たっての視点、アプローチが「地域と暮らし」であるべき!というのが環境省の基本姿勢でありますし、私もそのとおりだと深く得心している1人であります。

ところが、このキーワードは核心をついている分、まさに「言うは易し、行うは難し」そのものでもあります。

例えば、「地域の環境省」たらしめるためには、少なくとも市町村との関係は深いものでなければなりませんが、実際のところはどうかと言えば、道半ばどころか緒についたばかりというのが正直なところ…

私も市長を長く経験していたので肌感覚を持ち合わせているつもりですが、市長目線から見ると、少なくとも現時点においては、国土交通省以外は市町村との密な関係構築に成功している中央省庁は見当たりません…

ですが!

だからこそ、環境省が市町村と関係構築を進めるには今がチャンスなのです!

そして関係構築の鍵は実にシンプル。

環境省の地方支分部局(地方環境事務所)の皆さんがとにかく足繁く市町村、とりわけ市町村長のところに通い詰めること!(実際、国土交通省はそうやって市町村との関係を深め、維持しております)

そういう意味では、中国四国地方環境事務所は所長自ら(どうやら入省同期らしい…視察時には分かりませんでしたが…)、今回の米子市、境港市訪問だけに止まらず、全ての市町村を回っていたことを知ることができたことは本当に頼もしかったです。

この調子で、2周、3周と足繁く通い詰めましょう!(営業活動の成果指標はあの時申し上げたとおり!楽しみにしています(笑))

国土交通省より地方支分部局の体制はまだまだではありますが、全ての地方環境事務所の職員1人ひとりが全市町村との関係を構築する営業マンとなるべく市町村行脚を続ければ、「地域の環境省」を名実共に手に入れる日は近い!

少なくとも、市長経験者である私がその尖兵とならなければならない。

視察後はそのように思いを定め、その実践活動に身を投じているところです。

いずれにしても、この度の表敬訪問を快く引き受けていただいた米子市長さん、境港市長さんに、心から感謝申し上げます!

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