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三条に移住したての頃、歴史に詳しい方々から「三条は富を生む街。だから、江戸時代は天領や各藩に切り刻まれ、分断統治されたんだ」とよく聞かされました。

確かに、三条市を中心とする藩は江戸初期以降は置かれることなく、例えば三条市の中心市街地の一角を占める旧三条小学校区は村上藩領、一ノ木戸小学校区は高崎藩領と分断統治されており、三条市長時代にプライベートで村上市にお邪魔して自分が三条市民であることを名乗ると、「あぁ三条ですか…昔は我が藩とご縁がありましてね…」と言いつつ、若干居丈高になる方もちらほらといらっしゃって複雑な思いを感じたことも何度か…

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さて…

私が活動している新潟県第4選挙区にある新潟市江南区横越地域の沢海地区。

「鬼滅の刃」で再び脚光を浴びている北方文化博物館がある地として知られている同地区には江戸時代、沢海藩が置かれておりました。

そんな同地区を回っていて地元の方々から初めて伺い知ったのは、三条市内の保内地区、月岡地区、本成寺地区、大面地区などは沢海藩領であったということ…

へぇ〜と知識欲が満たされ嬉しくなる反面、直ちには素直に受け止めきれない自分がいるのは何故なのでしょう⁉︎

もう150年以上も前に終わった話なのですがね…

三条の方々の多くがあまり自分たちの地域の歴史を(他地域に住む人ほど)口にすることがないのは、こうした背景があるからかもしれませんね!

でも改めて、それぞれの地域の歴史を勉強したくなってしまいました。

(写真はいずれも北方文化博物館のもの。同博物館には廃村した下田郷の吉ヶ平集落から移築された古民家が保存されております)