この地に尽くす!〜国定勇人(くにさだいさと)の日記〜

自由民主党新潟県第4選挙区支部長(前三条市長)の国定勇人(くにさだいさと)です。 自分の思い、日々の活動、第4選挙区内の様々なこと、プライベートなことなどを徒然なるままに書き綴ってまいります。 気楽にお付き合い下さいませ。

2022年11月

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引き続き、地域と暮らしの環境省の進む道に対する現時点での個人的雑感の続きを…

昨日は、行動変容、つまり脱炭素に資する行動変容、という言葉をさりげなく、しかも幾度となく繰り返しましたが、今回の課題で一番の難関は、いかにして、生活者、地場企業、コミュニティなどありとあらゆる社会主体に実際の行動変容に結び付く豊富なメニューを提示できるのか(或いは、仕掛けを施すことができるのか)ということなのです。

そういう意味では、私が三条市長時代に取り組んできたスマートウェルネスシティ構想と今回の取組には実に相似点が多い!

つまり、圧倒的な環境(スマートウェルネスシティ構想でいえば、健康)無関心層(どの分野にも無関心層は7割いると言われております)をいかにして行動変容を起こさせるのか…この一点に尽きるのが両者の共通点であります。

私は三条市長時代、この課題にかなり腰を据えて取り組んでまいりました。

もちろん確かな持論など持ち合わせるに至っておりませんが、それでも紆余曲折の末辿り着いた仮説があります。

やや乱暴に仮説の結論を申し上げると、①行動変容は「せざるを得ない」か「したい!」かのどちらかのアプローチによってしか実現できない、②「したい!」の動機付けは環境(健康)一辺倒では絶対に行動変容に結び付かない(「したい!」の動機付けは極力多角的であった方がいい。脱炭素(健康)に繋がっているかどうかは無関心層には意味のあることではないので、あくまでも行動変容の起こったその先の結果論に徹するべき)、ということです。

例えば、スマートウェルネスシティ構想についていえば(目的は(できれば徒歩による)外出機会の創出です)、健康無関心層で家でダラダラ過ごすことが好きな私に、「健康に繋がるんだから外に出て歩け!」と言われてもテコでも動きませんが、「300m先に牧瀬里穂がいるよ!(実際ファンです)」と言われれば死ぬ気で猛ダッシュする、ということですし、少なくとも生きていくために食材の買い出しには定期的に外出せざるを得ない、ということです(前者が仮説②、後者が仮説①に対応するイメージですね)。

そして、こうした観点でメニュー創造(或いは仕掛けづくり)をしていけば必ず活路が見出せると楽観的に考える私がここにいます(もちろん、昨日申し上げた、行動変容の先に脱炭素貢献度の見える化に繋がる全てのプレイヤーの数値化が大事です)。

さらに楽観的に申し上げれば、環境は健康にやや優位に立つと思っています。

例えば、「せざるを得ない」の代名詞というべきものの1つに課税政策がありますが(例えば、シンガポールでは過度な渋滞対策、逼迫する駐車場対策として、我が国では考えられないほどの金額を自家用車取得時に課税します)、環境分野では排出量取引という(いつか解説しますが…)お金を取られるどころかお金が手に入るという、つまり「せざるを得ない」を「したい!」に変貌させる、信じられない、錬金術のような仕組みまで有しているのですから!

極論すれば、生活者、企業、コミュニティを始めとする全ての社会主体が(自覚の有無に関わらず)脱炭素に資する行動を実際に起こせば、結果として生ずる脱炭素貢献度に応じて(かつ排出量取引を通じて)「日本円」でそれぞれに還元できることも理論上可能なのが(還元の在り方は地域それぞれであるべきですが…)、地域と暮らしの環境省が切り開く世界なのです!(ちなみに、例えば買い替えのタイミングで省エネ家電を生活者が購入することで、脱炭素への貢献に加え、電気料金の節約という「日本円」の還元をも手に入れることができますが、ここでいう排出量取引を通じて手に入れることができる当該生活者の「日本円」はまたそれとは別のものというところが錬金術的でユニークなのです)

これほど「したい!」に繋がる動機付けなど他にあるのか⁉︎というのが私個人の肌感覚であり、この肌感覚が私を楽観的にさせているのです。

また、国民運動の名称の前に入っている「豊かな暮らし」とはこうしたことも包含されてのことであるというのが私の解釈であり、きっと間違いないはず。

少し長く書きすぎてしまいました…

さぁ皆さん!

何となくワクワクしてきませんか?

自分達が「したい!」と思って行動したその結果が脱炭素に資するだなんて!心の豊かさまで手に入れることができるだなんて!

まさにアダムスミスの(真の意味で)説くところの「神の見えざる手」ではありませんか!

さて、これから実践活動に没頭してまいります。

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2050年カーボンニュートラル及び2030年度削減目標の実現に向けて、国民・消費者の行動変容、ライフスタイル変革を強力に後押しするため、西村環境大臣が主導する「脱炭素につながる新しい豊かな暮らしを創る国民運動」が先日立ち上がり、山田副大臣とともに、私も出席してまいりました。

この国民運動をどのような視点で展開していくのか…

現時点で私が勝手に考える基本的方向感を書き綴っていきたいと思っているのですが、その前に、脱炭素に向けた経済産業省と環境省の役割分担について、改めて整理したいと思います。

誤解を恐れずに申し上げると、脱炭素を巡っては長らく、経済産業省と環境省の役割分担が整理されておらず、その結果両省の間は必ずしも良好な関係ではなかったようです(私が郵政省に入省した時の情報通信分野を巡る通商産業省との熾烈な権限争いみたいなものでしょうか…)。

それが近年では、エネルギー分野と経済界全般の脱炭素化は経済産業省が、そして地域や暮らしにおける脱炭素化は環境省がそれぞれ担う形に整理が進んでまいりました。

このことを前提に、国民運動の基本的方向感に対する雑感を申し述べたいと思いますが、まず運動体の基本単位です。

地域と暮らしの環境省を標榜している以上、運動体の基本単位は市町村であるべきではないかというのが率直な感想です。

もちろん、この後に触れる推進基盤は例えば、市町村に加え、商工会議所や商工会、地元金融機関や各種団体からなるコンソーシアムを組んでも構わないのですが、地理的な基本単位は「近接性の原則」に従って地域住民に最も身近な行政サービスを可能な限り全領域にわたって提供している市町村であるべきです。

そして、市町村という基本単位内における実際の脱炭素に向けたプレイヤーは、生活者(暮らしの担い手)としての1人ひとりの地域住民、地場産業に貢献している地元企業(経済産業省との境界領域になりますが、大雑把にいえば、自らの手では脱炭素の数値化がしづらい中小零細企業)、社会活動の担い手としての各種コミュニティ、そして行政サービスを提供する市町村といったあらゆる社会主体を可能な限り全て巻き込むことが必要です(そうでなければ2030年、2050年の野心的な目標は厳しくなるというのが私の問題意識です)。

その上で、それぞれの社会主体の行動変容を促す仕組みづくりを展開していかなければならないのですが、ここで注意すべきは行動変容の中身です。

地域と暮らしの環境省を標榜する以上、再エネ発電といったエネルギー供給サイドから脱炭素に貢献するのではなく、需要サイドの目線に愚直に立つことに徹して脱炭素への貢献を積み重ねていくことが肝要なのではないかと考えるのです。

例えば、生活者であれば省エネ家電に切り替える、地場企業であれば工場に断熱シートを貼る、コミュニティであれば乗り合いバスを運行する、市町村であれば指定ゴミ袋を廃プラ完全利用のものに切り替えるといったイメージであり、これらそれぞれの社会主体の多面的重層的な取組みがトータルパッケージになっている(しかも着脱可能な形で)イメージです。

ここで課題として浮上するのは、これら1つひとつをどうやって数値化(可視化)し、累計していくのか、つまり、行動変容前の温室効果ガス排出量を市町村単位全体でいかに弾き出し、行動変容が進むにつれいかに温室効果ガス排出量が削減されていくのかを客観的に評価できる仕組みを構築しなければなりません。

そうした仕組みの構築主体こそが冒頭申し上げた推進基盤。

そこに数値化する環境(見える化するシステム、それを実行する人材など)をこの推進基盤にビルドインできるかどうかが国民運動の成否の鍵を握るのではないかと考えております。

いずれにしても、この取組は「言うは易し、行うは難し」の典型例。

正直なところ、環境省内に、これと真正面から向き合う部署があるのかないのか未だ掴みかねているところですが、地方行政出身者として自覚的に取り組んでいきたいと思っています。

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遂に、遂に、燕三条工場の祭典が世界の最高峰に到達しました!

世界三大デザイン賞の1つ「レッド・ドット・デザイン賞」のグランプリを獲得したのです!

思えば、自分達の街への愛や誇りを手に入れるためには、「49:51の好き嫌い」から「51:49の好き嫌い」への転換が実現できればよく、その2ポイントの転換は私たちの人為的な努力で何とかなると固く信じ、私たちのまちのアイデンティティは「ものづくり」であるという軸を一瞬とも疑わず、その見える化を通じて、他者から評価され、褒められることこそが2ポイントをひっくり返す王道だと思いを定め、市政運営に取り組んでまいりました。

また、鍛治という伝統技術の持続可能性を手に入れるため、「100円の包丁を買い求める1万人の顧客層」よりも「1万円の包丁を買い求める100人の顧客層」へのアプローチに挑戦するとともに、ものづくりのDNAを次世代へと繋げる取組に挑戦してまいりました。

そうした中、数多くの良き仲間に恵まれ、誕生したのが燕三条工場の祭典でありました。

燕三条工場の祭典を生み出したのはそんな彼らであり、私はたまたまその当時の市長として、そんな彼らの挑戦を後押ししただけに過ぎません。

でも、そんな私でも、今回の受賞を誇りに思いますし、2ポイントの覆しに少しは貢献できたのではないかと思っております。

いやぁ、しみじみ嬉しいな…

実行委員会の皆さま、参加工場の皆さまを始めとする関係者全ての皆さまに、心から、心から、お祝い申し上げます!

本当におめでとうございました!

これで何も心残りはなくなりました。

実行委員会の皆さま、燕三条工場の祭典の世界観を紡ぎ出すことに貢献いただいたmethodの山田遊さんを始めとする東京チームの皆さま、これからは晴れて自由の身です(笑)

どうぞ遠慮なく、新たな第一歩を踏み出して下さいませ。

私は立場が変わりましたが、如何なる決断が下されようとも全力でお支えしてまいります。

本当におめでとうございました。

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さて、そろそろ先月の大山隠岐国立公園視察報告の締めを…

今回の視察で様々な知見を深めることができましたが、最大の気付きは、環境省という組織が自分達の仕事への愛がハンパない職員に恵まれていることを実感できたこと!

東京から同行して下さった皆さんはもちろん、現地をご案内いただいた事務所の皆さんから溢れる国立公園愛を浴び続け、染まっていく2日間でした。

愛の深さは必ず他者に伝わり、他者の心を揺さぶり、他者の行動変容を促します。

東京からノコノコやって来た私との距離感を掴むことだけでも気苦労が絶えなかったかと思いますが、そんなことを微塵にも感じさせずに、私の気持ちを国立公園に誘ったのは、皆さんの国立公園への愛に他なりません。

私が思わず、「地域と暮らしの環境省ではなく、地域と暮らしと国立公園の環境省ですな」と呟いたときの皆さんの顔の綻びこそ、まさに国立公園愛そのものです。

この愛の深さに、正しき政策の方向性が合致すれば、鬼に金棒です!

国立公園満喫プロジェクトを誇り高く、そして思い込みを振り払いながら、進めてまいりましょう!

本当は、レンジャーの皆さんが野(国立公園)に解き放たれた時の無邪気さ(これもまた国立公園愛の為せる技)も書こうと思ったのですが、あまり書くと「こいつら、本当に真面目に視察に行ったのか⁉︎」と要らぬ誤解を与えそうなので、以下自粛ということで…

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先週の衆議院環境委員会において、環境大臣政務官として初めて答弁に立ちました。

三条市職員として3年間、三条市長として14年間、議会答弁に立ち続けてきたので、答弁には慣れているつもりでしたが(特に、三条市職員時代は、事前通告が全く存在しない委員会質疑にも臨んでいたため、かなり鍛えられました…)、やはり国権の最高機関である国会という重みはそんなキャリアなど歯牙にも掛けないものがありまして、独特の緊張感がありました。

ちなみに、どんな質問だったのかというと、旧統一教会関係と4パーミル・イニシアティブ…

4パーミル・イニシアティブは温室効果ガス削減にも資する取組の1つなので、まさに環境行政ど真ん中であり(環境委員会は与野党の基本的立場が概ね一致している政策分野を取り扱うので、建設的な意見の積み重ねができる傾向が強いようです)、私も事前レクを通じて理解を深める良い機会となったのですが(市長時代もそうなのですが、議会での答弁は行政課題への理解を深める絶好の機会となります。自分自身の関心分野とは異なる、質問者が関心を持つ分野において、質問者の考える政策アプローチを知り、それに対して、何らかのリアクション(答弁)をしなければならないのですから…)、旧統一教会の方はちょっと…

私自身、旧統一教会と一切の関わりがないので余計にそう思うのかもしれませんが、わざわざ全ての常任委員会で各省庁の政務三役1人ひとりに確認の答弁を求めなくても、もう少しやり方があるのではないかと思ってしまいます。

各常任委員会で、この確認作業だけで、野党の持ち時間凡そ5分を割いてしまうのですから…

私の初答弁が旧統一教会関連になってしまったというモヤモヤ感が余計にそうさせてしまうのかもしれませんね。

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