
さて、日曜日の総理視察について、何回かに分けて私見を交えてご報告を…
写真をご覧になって感じられるのは「人数が多過ぎない⁉︎」ということなのではないかと思います(私自身もそれに貢献してしまっているのですが…)。
そして、ご覧になられた方々の中には「かえって復旧の妨げになるのでは?」「もっと人数を絞り込むべきでは?」「説明だけ聞いて短時間で引き上げることに何の意味があるの?(実際、被災地1箇所当たりの滞在時間は2,30分程度)」と思われる方もいらっしゃるのではないかと思います。
でも、こうした疑問について、過去官僚として、被災経験首長として大臣視察を受け入れた身として、国会議員として、「総理視察はそうした疑問を大幅に上回るだけのメリットが被災地にある」と申し上げたいと思います。
まず、大人数を伴う総理視察のタイミングについて。
もし総理視察が発災直後であれば、「かえって復旧の妨げになるのでは?」という指摘はそのとおりだと思います。
が、発災後1ヶ月程度のこの時期は、①復旧が進む中、復旧費用をどれだけ国が負担してくれるのか?、②災害復旧に係る制度運用と現実とのギャップが顕在化する中、そのギャップの埋め合わせにどれだけ政府が向き合ってくれるのか?、という被災地(被災県、被災市町村)の不安がピークに達する時期と重なり、総理視察こそが最も求められる時期となるのです。
でも、そうすると、短時間視察にしか過ぎない総理視察という場面をわざわざ設けずとも良いのではないか?と疑問が沸くはずです。
しかしながら、ここは敢えて「総理視察」にこそ意味があるということを声を大にして申し上げたいのです。
「総理が被災地を視察する」ということは、行政権執行の最高責任者として、「この被災地は政府として全力を挙げて復旧に取り組むべき被災地である」ということを被災地に対してまさに身を以って示すだけでなく、政府部内に対して「そういうことだから、そういうつもりで臨むように」という強力なメッセージとなるからです(きっと、企業活動でも往々にしてあるのではないでしょうか…)。
「そうであれば、そういう姿勢を総理は取っているというメッセージを発すればいいのでは?」と思われるかもしれませんが、人間社会はそこまでデジタルな社会ではありません(人間には感情がありますし、百聞は一見に如かずという諺は今も昔も変わらぬのです)。
一見無駄なように見えるかもしれませんが、やはり短時間でも総理自らが現地に足を運ぶという事実行為ほど、被災地に対するメッセージとして雄弁に語る手段はありませんし、政府という巨大組織を短時間で同じ方向に向かわしめる手段はありません。
ですから、内閣府防災担当部局を始め、関係省庁の担当者が大勢で同行してくるのです。
実際、私も被災経験市の職員、市長として、総理や大臣の視察を心強く思いましたし、現実の政府からの支援スピードや柔軟性も劇的に変化した経験をしましたので、この私見はさほど間違っていないと思います。
もちろん理想を言えば、もっとシステマティックに事態が推移していけばいいのでしょうが、災害がすべからく千差万別である以上、システマティックに事態が流れる術もなく、現場合わせが必要であり、それを多岐にわたって短期間にスムーズに進めていくためには、総理視察ほど重要な手法はないということをご理解いただければ幸いです。