この地に尽くす!〜国定勇人(くにさだいさと)の日記〜

自由民主党新潟県第4選挙区支部長(前三条市長)の国定勇人(くにさだいさと)です。 自分の思い、日々の活動、第4選挙区内の様々なこと、プライベートなことなどを徒然なるままに書き綴ってまいります。 気楽にお付き合い下さいませ。

2022年07月

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三条市長時代には、少なからずご依頼をいただいていた大学講義。

昨日は久しぶりに、三条出身であり、三条市長時代に大変お世話になっていた藤井先生からお誘いいただき、東京交通短期大学にてゲストスピーカーとして講義を受け持たさせていただきました。

テーマは三条市長時代に取り組んだフルデマンド交通システムの導入を例とした政策形成過程だったのですが、驚いたのが学生さんによる意欲的な質問の数々!

持ち時間は90分だったのですが、私からの話題提供を30分にしておけば良かったと反省してしまうほど…

実際、質問は45分を経過して時間切れになってもなお挙手が止まらないほどだったのですから!

これまで、いわゆる名の通った大学を含めて色んな大学で講義させていただきましたが、こんなことは今までなかったですな…

いや、昨年リモート講義をさせていただいた関西学院大学でも質問の数が予想外に多かったな…

日本の若者の積極性が変わってきたのかしら⁉︎

少なくとも、私の学生時代を思い起こすと、本当に考えられないこと!

まして、国際的な会議で「日本人に質問させることほど難しいことはない」と揶揄されていていた(少なくとも私はこのタイプでした…)ことを思い起こせば、隔世の感がありますね!

この積極性が日本を更によくさせる!

実に気持ちの良い経験でした(藤井先生、貴重な機会を本当にありがとうございました!)。

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ウクライナ人青年ニキタ君が三条に無事辿り着いたので、私の立場で見てきた1人のウクライナ人男性の避難実現に至る紆余曲折を備忘録的に書き綴っていきたいと思います。

私は衆議院議員として、ウクライナ人避難民の総合調整を担っている出入国在留管理庁に関する事項も所管する衆議院法務委員会に所属しています。

ですから、自民党の部会や衆議院法務委員会での議論を通じて、我が国のウクライナ人支援体制や運用状況について、包括的に把握はしておりました。

そんな折に飛び込んできたのが「ウクライナからの出国を希望している青年の出国を手伝ってほしい」という個別具体的な要請でした。

要請主は鈴木さん。

東京で事業を行われている方で、ロシアのウクライナ侵攻によって生命を奪われかねないウクライナ人を何とか救い出したいと、完全なるボランティア精神、博愛精神で、ウクライナからの出国、日本への避難を希望しているウクライナ人をネットを通じて勝手連的に支援活動をしている、そんな鈴木さんですが、奥様が三条出身だったこともあり、鈴木さんの支援活動のサポートをしてくれないか?と、私の支援者を通じて要請があったのが全ての始まりでした。

要請を受けた私が最初に行ったのは法務省出入国在留管理庁からのヒアリング。

何をどうすれば、ウクライナ人を出国させ、日本に入国させることができるかを具体的に知りたかったからです。

そこで分かったのは、日本側の避難者支援の運用体制は、避難者1人ひとりに寄り添った、実に柔軟できめ細やかなものであるということ。

ウクライナを出国し、ポーランドに入国さえ許されれば、ビザの発給はもちろんのこと、週に1便無料で避難民を成田に送る飛行機を確保したりといった環境を整えている中、保証人の有無に関わらず、確実にストレスを極力抱えることなく、日本に入国することができること、日本財団を始めとする様々な経済的サポートも整備されており、中期的滞在までは少なくとも心配することがないことを確認することができました。

でも、ここでの最大の難関は「ウクライナを出国し、ポーランドに入国さえ許されれば」という条件…

ウクライナを出国できるかどうかはウクライナ政府が決めることであり、我が国のような外国は一切手を触れることができない内政そのものの話なのです。

では、いかにしてウクライナ人青年ニキタ君をウクライナから出国させるのか…

これについては改めて…

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さて、参院選の振り返りを…

公示後に候補者が有権者に訴える主要な手段の1つが街頭演説になります。

そして、街頭演説の開催をありとあらゆる人的ネットワークを介して呼びかけ、1人でも多くの皆様に足をお運びいただく過程そのものが支援の輪を拡げていく大変重要な手段となります。

しかしながら、「新人候補の演説を聞きに来てください!」「(私如き新人議員の)応援演説もありますから!」とどんなにお願いしたところで、有権者の食指が動かないのもこれまた事実…

そんな中、岸田総理の応援という大看板が持つ破壊力は凄まじいものがありました。

今回の参院選では、県庁所在地でもない私の選挙区に2度も岸田総理が応援に入るという、色んな意味で記憶に残るものとなりましたが、「岸田総理も応援に入られますから」という一言がどれだけ力になったことか!

最初に岸田総理が入った見附市に至っては、現職の内閣総理大臣が入ったのは田中角栄さん以来の出来事というのですから、この言葉だけでどれほどの行動変容をもたらしたのか、想像に難くありません。

実際、ある一定の区画の中に入場された方々に配布した法定ビラだけを勘定しても、見附会場では1,300枚、投開票前日に行われた小林一大候補の地元新津会場では2,100枚を配り切っているのですから、そのパワーの大きさは皆様にも想像いただけると思います。

というわけで(どういうわけで⁉︎)、次回は地上戦についての振り返りを…

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細々とではありますが、仲間の力を借りながら、YouTubeチャンネル「国ちゃん」ネルを続けております。




今回は、三条祭りの続編です。

お暇なときにどうぞ!

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昨日は久々に志帥会の会合がありました。

選挙は逞しく諦めない人間が、そして他人の選挙を一生懸命にやる人間が勝つんだということを諸先輩から言われ続けてきましたが、会合に出席して二階会長を始め殆どの先輩、同僚議員が真っ黒に日焼けしている様子を見て、さもありなんと感じた次第です。

さて、そんな先輩、同僚議員に負けないほど頑張ったかどうかはありますが、自分なりに力を尽くしたつもりの立場から、問わず語りに参院選を振り返ってみたいと思います。

多くの仲間、同志に支えられながら、小林一大がいる時もいない時も、公示前も公示後も地域に分け入って活動を展開してまいりましたが、「風向きが変わってきたな」と体感できた局面が2度ほどありました。

1度目は知事選前後。

知事選前は「小林一大」と口に出しても「はぁ…」といった反応だったのが、知事選後は「ああ、小林さんね」といった具合に著しく認知度が高まった印象を受けたのです。

これは心強かったです。

何よりも回りやすくなりましたから!

そして2度目は不謹慎ながら、安倍元総理が凶弾に倒れたとき…

「山が動く」とはこういうことなのか…と実感してしまうほどの劇的な変化が生じました。

特に、若年層の女性…

感情を抑えきれずに泣き出される事務員さん、激しく頷きながら「絶対に投票に行きます!」と答えてくださる女性、「岸田総理が来るのですか?行きたいです!」とわざわざ駆け寄ってくる会社員さん…

戸惑いを覚えるほどでした。

こうした変化を肌で感じながら小林一大も選挙活動をしていたはずです。

紆余曲折を乗り越え、信じられない凶事を目の当たりにする中で逞しく成長し、新潟のために心底働ける準備が整った小林一大と一緒に働くことができることを心待ちにしております。

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