この地に尽くす!〜国定勇人(くにさだいさと)の日記〜

自由民主党新潟県第4選挙区支部長(前三条市長)の国定勇人(くにさだいさと)です。 自分の思い、日々の活動、第4選挙区内の様々なこと、プライベートなことなどを徒然なるままに書き綴ってまいります。 気楽にお付き合い下さいませ。

2021年01月


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人口減少社会と叫ばれるようになって幾久しいのですが、それぞれの地方都市では均質的に人口が減少しているわけではありません。

どころか、多くの市町村において、数多くの地域が人口減少に直面している反面、人口増加に転じている地域(集落)も僅かながらもほぼ内在しているというのが正直なところではないでしょうか…

そして、その場合、少なからずの地域が従来からある旧村部と新たに開発された団地などの新興住宅地との間に生まれる「壁」に悩まされているはずです…

何故ならば、地域コミュニティとそれぞれの家庭との紐帯関係が旧村部と新興住宅地とでは明らかに異なるからです。

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そんな中、そうした「壁」を20年もの年月をかけつつも見事取り除くことに成功した地区を発見してしまいました!

その地区とは、新潟市江南区横越地域にある藤山、駒込、うぐいす地区。

旧村部である藤山、駒込地区約80世帯に対して、20年ほど前に宅地造成されたうぐいす地区約250世帯ほどのエリアです。

この地区の「壁」の溶解剤となったのは地区公民館活動の存在。

公民館といっても同地区に箱物としての公民館があるわけでなく、様々な地域活動を行う公民館活動が舞台装置になったというのがミソ。

同地区では、運動会、文化祭、塞の神、子ども神輿など、今となっては地域のお荷物になりかねない「公民館活動」がめくるめく執り行われております。

この公民館活動を行う役員について、旧村部、新興住宅地に差を設けることなく、しかも2年単位くらいで目まぐるしく交代を促すという仕組みがそれぞれが半強制的に顔見知りにならざるを得なくなる環境を生み出し、「壁」ができるのを未然に防ぐことに功を奏したようです(この20年間で全ての世帯が必ず一度は役員を経験しているため、地域コミュニティにとっての孤立世帯はないようです)。

こうした仕組みづくりと政治行政がいかに関わっているのか…

どうやら、このケースにおいては、必要経費に対する財政支援はもとより、「公民館活動」というものに旧横越町役場がお墨付きを与えたことがかなりの後押しとなったようです。

いやぁ…

勉強になりますな…

まさにこれこそ、現場に学ぶ政治活動!

こうして身に付けた経験を必ずそれぞれの地域に還元してまいります!


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三条に移住したての頃、歴史に詳しい方々から「三条は富を生む街。だから、江戸時代は天領や各藩に切り刻まれ、分断統治されたんだ」とよく聞かされました。

確かに、三条市を中心とする藩は江戸初期以降は置かれることなく、例えば三条市の中心市街地の一角を占める旧三条小学校区は村上藩領、一ノ木戸小学校区は高崎藩領と分断統治されており、三条市長時代にプライベートで村上市にお邪魔して自分が三条市民であることを名乗ると、「あぁ三条ですか…昔は我が藩とご縁がありましてね…」と言いつつ、若干居丈高になる方もちらほらといらっしゃって複雑な思いを感じたことも何度か…

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さて…

私が活動している新潟県第4選挙区にある新潟市江南区横越地域の沢海地区。

「鬼滅の刃」で再び脚光を浴びている北方文化博物館がある地として知られている同地区には江戸時代、沢海藩が置かれておりました。

そんな同地区を回っていて地元の方々から初めて伺い知ったのは、三条市内の保内地区、月岡地区、本成寺地区、大面地区などは沢海藩領であったということ…

へぇ〜と知識欲が満たされ嬉しくなる反面、直ちには素直に受け止めきれない自分がいるのは何故なのでしょう⁉︎

もう150年以上も前に終わった話なのですがね…

三条の方々の多くがあまり自分たちの地域の歴史を(他地域に住む人ほど)口にすることがないのは、こうした背景があるからかもしれませんね!

でも改めて、それぞれの地域の歴史を勉強したくなってしまいました。

(写真はいずれも北方文化博物館のもの。同博物館には廃村した下田郷の吉ヶ平集落から移築された古民家が保存されております)


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私のYouTubeチャンネルにおいて、いよいよ今晩18時から「三条マルシェの作り方②」が配信されます(第1回はこちら)。

「三条マルシェの作り方」は3回シリーズで配信予定ですが、クライマックスは実行委員会の結城さんが話の中心となる今回となります!

何故ならば、三条マルシェの特徴は、来場者が次の回には出店者となったり、実行委員会のメンバーとなったり、或いはそのまま店舗を構えたり、スピンオフ企画が勝手気ままに組まれたり…と、異常なまでにそれぞれの主体の垣根が低く、何が次に起こるのか誰も予想できないし、誰にもコントロールできない(しかしどこか「三条マルシェ」らしい…)点にあるのですが(私はかつて「三条マルシェは化学反応を起こす触媒である」と唱えていたのですが、今風にいえばプラットフォームですね)、この融通無碍なアメーバのような機能特性を体感し、具現化してきたのが結城さんに他ならないからです。

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ちなみに…

三条マルシェといえば、福島から避難してきた「ちゃんこ佐藤」君も三条マルシェをきっかけに⁉︎、すっかり三条人となり、今では実行委員会の欠かすことのできないメンバーとなりました。

記念すべき◯◯万人目の来場者ということで祝福された方も、その次の三条マルシェでは出店者となっていたこともありました。

そして…

午前中には売切れ必至だった結城さんのところの魚兵さんのお弁当。

そのときのノウハウが三条エール飯にも活かされたというから嬉しいではありませんか!

と…

とりとめもなく、三条マルシェにまつわるエトセトラを書き綴ってみましたが、これこそが三条マルシェの魅力なのです。

ということで、クライマックスを迎える「三条マルシェの作り方」、是非ご覧くださいませ!(自分で申し上げるのも恥ずかしいのですが、かなり見応えのある動画に仕上がっていると思います!これも結城さんのお蔭です。本当にありがとうございました!)


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「三条市長日記」時代の「【読書感想文】若者、バカ者、よそ者~イノベーションは彼らから始まる!~
」の中でも触れたとおり、著者は同書で「(イノベーションに)必要な人材は、いままでのしがらみや固定観念にとらわれない“若者”、いままでの枠組に収まらなかった“バカ者”、そして、そもそもいままでのやり方を知らない“よそ者”が重要」と定義した上で、「われわれ自身が、“若者”か“バカ者”か“よそ者”になってしまえばよい」という趣旨の言葉を幾度となく訴えているのですが、他方で真の意味での「よそ者」もリノベーション(社会変革、深化、価値向上…)の寄与者になることを排除するものではありません。

と唐突に語り始めたのには理由がありまして…

政治活動の一環としてそれぞれの街を歩いていると、街の中で頑張っていて、街に「何か(≒何らかの価値)」を与えている真の意味での「よそ者」に出会うからです。

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例えば、こちら新津の二福商店街に佇む雑貨屋「aimer」さん。

福島から移住してきた女性が営む雑貨屋さんの扉を開けると、外の街の様子とは裏腹に多くのお客さんで溢れ返っておりました(写真は敢えてお客さんを避けておりますが…)。

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こうした挑戦は、先日紹介した「新津本町中央公園パッチワークプロジェクト」や、同じくお洒落な雑貨屋「Lincle」さんが仕掛ける「まきこさんのまち暮らしマップ」などと相まって、新津の街なかに新たな価値を創造する原動力となっていくことでしょう。

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また例えば、こちら加茂市の穀町商店街に昨年オープンした「cafe sugar」さん。

東京出身のご夫婦が「自分たちがこんな場所に住みたいなと思う幾つかの条件に合致したのがここだった」と選んだのが加茂駅前の穀町商店街という立地だったそうです。

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加茂市といえば、先日紹介したとおり、昭和レトロな喫茶店が売りになる街の雰囲気ですが、こうしたカフェがあることで街に幅が生まれ、価値が新たに創出されること必至です。

そして、いずれのケースにも当てはまるのは、彼らを陰に陽に支える地元の方々がいらっしゃるということ。

この地元の方々の存在によって初めて、彼らの取組が街に波紋のように価値を創造するきっかけとなり得るのです。

ということで、私の新たな「よそ者」探しはまだ始まったばかり…

次の機会に、別の街の新たな「よそ者」が紹介できればと思っています!


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女池の「おもだかや」で先日頂いたワンタンメン。

これまで幾度となく頂いている一杯なのですが、今でも食べるたびに胸の奥が軽く疼くのです…

何故ならば、新潟移住後の私にとっては、数少ない学生時代を思い出す懐かしの味だから…

恥ずかしながら、学生時代の私はスキーで新潟に来ることはあっても、新潟市にお邪魔したことはありませんでした。

そんな私にとって「おもだかや」が懐かしの味なのはかつて、私が生まれ育った東京の神田神保町に「おもだかや」の支店があったからなんです!

何たる偶然。

当時はもちろん、新潟が私の人生を根本から変え、新潟を骨を埋める地と定めることになろうとは知る由もなかったのですが、きっと神様のイタズラだったのかもしれませんね(神保町の支店には置いてあった新潟の地酒が美味しくて何度も足を運んでいたというのは、ここだけの話…)。

ですから、女池の「おもだかや」は、私の母校が立地していた国立にルーツがある「伝説のすた丼屋」新潟駅南店とともに、私にとってもノスタルジーな一杯を味わえる稀有なお店なのです。

と、超個人的な話で終始してしまいましたが、味は皆さまもご存知のとおりの優しいもの!

皆さまも是非どうぞ!

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