
マスクの着用について屋内外を問わず個人の判断に委ねることとなってから1週間が経過しました。
この間、新潟と東京を行ったり来たりしていますが、着用ルール緩和前とあまり変わった印象を受けません。
それは環境省内においても然り。
もちろん着脱の判断は個々人に委ねられているので、現下の状況に評価する意図は毛頭ないのですが、それとなく着脱の理由を聞いてみると、意外にあったのが「今年の花粉が酷くて、外そうにも外せない」という切実なお話…
それを聞いて思い出したのが同僚の国会議員の話。
着用ルール緩和後に劇的に変化したのが国会議員が集まる国会や自民党本部。
例えば、衆議院本会議場を見渡せば、7割以上の国会議員がマスクを外している印象です。
着脱の判断が個々人に委ねられているのは国会議員も同様なのですが、国会議員の場合、自分自身の言動について周囲の範たるべしと自負している方が非常に多く、「新型コロナ禍を克服し、日常生活を取り戻す」象徴ともいうべきマスク着用の取り扱いについて、単に個人的な嗜好という理由による判断だけではない、「べき論」による判断も働いている傾向もあるようです。
先の同僚の国会議員の話に戻ると、その方は深刻な花粉症なのですが、「自ら率先してマスクを外すことで、新型コロナ禍を巡る状況が変化しているんだということを少しでも多くの方々に感じていただきたい」と鼻をかみながら仰っていたのが印象的でした。
自意識過剰と思われるかもしれませんが、私たち国会議員は多かれ少なかれ、周囲から常に見られていることを自覚し、それが故に個人的嗜好のみから生じない、社会的要請をも包含した動機に基づく言動を(少なくとも主観的には)心掛けているんだということを告白したくて、些細なエピソードを紹介させていただきました。